幻の世界
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日付:2014/02/06 (Thu) 21:50:23 -名前:XYZ
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みんな狭い狭い閉じられた世界で夢、幻を見ているのです。
その幻も風船がパンと裂けるように夢から醒める時が来ているのです。 そして、広い世界に出て自由を得るのです。 どんなに理由を付けてもがいても砂上の楼閣は、崩れていくものだと思います。 諸行無常、因果応報、よき種はよき実を実らせ、悪しき種は悪しき実をむすぶというのはK会で教えられた教義でした。 その通りになっていくしか道はないのです。 何故なら、真の仏陀の言葉は、誰が言ってもそれ自体が神理だからです。 すみません
日付:2014/02/06 (Thu) 21:52:50 -名前:XYZ
上記コメントは、りんごさんへ記したつもりでしたが、投稿の仕方を誤りました。
管理人様、すみません。削除して頂いても結構です。 Re: 幻の世界
日付:2014/02/07 (Fri) 15:04:43 -名前:りんご
ありがとうございます。心ある人はもうとっくの昔に脱会していると思われるので、
私も最近はまるで心配しておりません。ただもし、幸福の科学で悩んでやめたいなあと 思ってどうしようかと思っておられる方が、一部なりともいらっしゃったらと思って 書き込みをしただけです。 幸福の科学は、アンチが望むように、つぶれることはないでしょう。生き延びてはいくことでしょうが、 かなり邪教化して、残るものと思われます。ですから、純粋なものを求める方は、 もう、かかわらないほうがいいかと思います。 また、大川隆法は嘘ばかりついておりますが、「私は嘘はついたことはない」と これまた大嘘をついており、もし自分が地獄に行く場合は、私に騙されたと思って あきらめてください。地獄で一緒に修行しましょうとも言っている様子なので、 今の残っている信者は、もし大川隆法がうそをついていても、たぶんそのつもり なのでありましょうから、格別心配もしておりません。 アイマイミー告発は消えましたが、種村ブログの出現で、ある程度の検証もここから リンクしてできるようになりましたので、私としてはまあ、いいんではないかと 思っています。 Re: 幻の世界
日付:2014/02/07 (Fri) 22:16:13 -名前:りんご
補足しておきます。
大川隆法は、2011年の救世の法で、「私がうそつきだったら、そのときは、あきらめてください。 まな板のこいだと思って、一緒に地獄で修行しましょう」などと言っている。 がしかし、この時すでに大川隆法はうそつきである。どのような嘘をついているかは、信者の方は、ご検証ください。地獄に行きたくなかったら、大川氏からは離れたほうが賢明かと思います。 長年やったものを否定することは、「いったい自分の人生は何だったのだろう?」と不安と空虚感でみたされることだろうと思います。がしかし、大丈夫です。すべてはときが解決します。 かくいう私も、幸福の科学幻聴に、13年も苦しめられましたが、次第によくなっています。医師の診断では宗教が原因だそうです。つまり、私の統合失調症という病気は、原因が幸福の科学なのだそうです。 私はそれで幸福の科学をやめましたが、今ではやめて本当に良かったと思っていますので、いつかそうした 日が来ることを信じて、退会を検討されているかたは、「検証」をなさるといいかと思います。 そうしたら、洗脳がとけていくかと思っています。 Re: 幻の世界
日付:2014/02/08 (Sat) 23:05:52 -名前:XYZ
生きている内に、自分の人生は一体なんだったのだろうと思えるのは、辛いけれどまだ幸せだと思います。
教祖に騙されて、地獄に落ちるのはそれより比較にならない程、愚かさと後悔と苦しみと厳しいことだと思います。 K会は人生は何処からでもやり直せると言っていますが、大切な生活の為のお金を布施に使い続け、高額なお金をつぎ込んでしまうと取り返しのつかないことになってしまいます。 自分自身がK会の活動や祈願によって繁栄しているかどうかを問えば、貧乏になっているのではないでしょうか。 大した内容ではないのに、法話一つ聞いただけでも、5千円、1万円と一瞬で消えていくわけですから活動費等に浪費していけば、普通の家庭では貯金は難しいでしょう。 自分自身の現実を直視すれば良いだけだと思います。 自分が、愛に満ち溢れ、豊かな心で経済的にも繁栄し、信仰を始めた時と比べて悟りが数段向上し、他人の悩みが手に取るように理解でき、救える人になっているかどうかです。 数十年の時をかけて必死で法を実践し活動した結果、悟りはなく、貧乏になり、社会からうとまれて、認めない者や脱会者を悪魔の如く見ている自分が居るのならば、その信仰は誤りなのです。 いくら法と称してきれいごとを言っても組織の中や組織から来る行動が伴っていなければ、説く人に問題があるのです。 例えば、布施、布施、布施の嵐です。これは、言い方を変えれば、金、金、金の亡者が布施という本来尊い言葉を言い換えているだけなのです。 信者に多大な布施を要求してくる教団に育った自体がおかしいとは思いませんか。 支部に行けば、お金の要求だらけでしょう。 無い所に更に布施の要求、支部にさえ集えなくなっているのではないでしょうか。 それが、数十年間、信仰をしてきた結果なのです。 「布施」=「菩薩」ではないのです。 教団をお金で支えるのが「菩薩」、「大黒天」ではないのです。 「菩薩」は心が菩薩なのです。 主に経済で、恵まれない世界の人々を助け、社会を繁栄させ、より良い世の中にしていくのが「大黒天」です。 K会のお陰で世の中の何が救われたのでしょうか。 自分自身さえ、救われず苦悩の中にいるのではないでしょうか。 まずは、一旦会を離れてみれば、自分に対して新たに気づくことがきっとあるでしょう。 私はそうして脱会していったのです。 |