無題
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日付:2014/01/25 (Sat) 07:16:48 -名前:(投稿者の要望により削除)
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(投稿者の要望により削除)
Re: 無題
日付:2014/01/26 (Sun) 01:43:15 -名前:2ちゃんねるの使者
「光が見える」、「神の声が聞こえる」はホンマにあることだす。
せやけどそれは幻覚・幻視・幻聴ゆうんが99%だす。 人間の脳ゆうんは意外とええ加減なトコがおまして、正常な人でも簡単に幻覚を見てしまうんだす。 わての信者仲間にも自称・霊能者がいてます。 神の姿が見え、神の声が聞こえますんやケド、その神のお告げがさっぱり当たらんのですわ(笑)! これやと「神の声」やのおて「幻覚」ですやろ? よろしかったらわてのこの記事の【022】を参考にしておくれやす(先頭に半角の"h"をつけておくれやす)。 ttp://sanpole.blog.fc2.com/blog-entry-68.html#more 【022】人間は騙されやすい生き物です! パート2 霊的なものへの判断は困難
日付:2014/01/26 (Sun) 18:06:01 -名前:XYZ
私は、霊的視点というのは、大切だと思います。
しかし、霊的現象というのは、あえて追求しない方が良いと思います。 単なる疑問だとは思いますが。 K会で居た時、お祈り、祈願等で光が強かったとかいうことは私も良く聞きました。 私は光が降りてきた等というのは、完全否定は致しません。 そう思いたい方々も居るでしょうし、私が所属していた時に霊的な興味をお持ちの方々も多かったですから。 霊感をお持ちの方は居られるでしょうが、本人が光と感じ取ったとしてもそれが本当に天上よりの光か、本尊からの光か、それとも本当に聖なる光か、そう思いたい想いや霊的な感覚を身に付けたい欲求からきた幻覚か、又悪い影響による現象かという判断は相当難しいと思います。 例えばですが、お祈りをしていて少しでも体が暑くなったら光が降りてきたと判断するのには、無理があるということです。 客観的な判断が難しいと思います。 その辺が、100%そうだと言い切れない所です。 100%と言い切れるのは、教祖を信じているということがそう言わせているところがあるのです。 又、100%感じ取れたとして、その方が正しい霊道現象を起こしていない場合は、危険な面が多分にあります。 そして何が正しくて、何が間違ったものかの霊的判断も困難なのです。 それよりも大切なのは、仮にそういうものが完全に判ったと仮定しても教祖を信じるか否かは、あくまでも教義が正しいかどうかで私は判断していきました。 正しいかどうかは、周囲の信じる人たちや組織の心情や行為、実った果実、実践してきた自分の心や人生の段階を反省して判断し、私は脱会しました。 ですから、周囲の霊的現象の声に惑わされずに、K会で言えば、識の部分での判断が大切だと思います。 霊的なものへの正確な判断、判定は、かなり難しいと思います。 一番良いのは、霊的なものに対してあえて関心を寄せることは捨てて、清らかな自分の良心に問いかけ、日々を愛と感謝で生きていくことだと私は思っています。 |