退会後の価値観について
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日付:2013/07/19 (Fri) 12:07:54 -名前:まちこ
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数か月前に、こちらで退会の決意を後押ししていただいて
無事、両親と子供二人もまとめて退会届を送ることができました。 本尊や教本も処分し、気持ち的にすっきりしました! ただ時折、長い間信じてきた価値観が抜けず これはどう考えたらいいのだろう・・と混乱することがあります。 たとえば、新聞で脳死臓器提供の記事を読んだとき・・ 「脳死はひとの死ではない、臓器提供はしてはならない」と 長い間、kkで教えられたことを信じてきたので 今、どういう信条を持つべきなのかわからず、フリーズしてしまいます。 否定も肯定もしがたいというか・・ 今、もし自分や家族が脳死になったとしても やはり以前の価値観が染みついているので 提供しようという気にはならないと思います。 でも、kkを否定してやめたからには その教えに従うのは、抵抗があるような気分もあります。 あとは「霊的人生観」 死んでから後悔しない生き方をしないと・・ 天国と地獄・・など、自分の根本になってしまっていて。 「自分に対しては反省し、他人に対しては理解せよ」 これも、やはり持ち続けた方がいい信条に思えるし。 でもこれは、kkの教えだけでなく 道徳一般的な教えのような気もするので 捨てなくてもよいのでしょうか? みなさんはこのような混乱を、どう考えてこられましたか? Re: 退会後の価値観について
日付:2013/07/19 (Fri) 15:39:35 -名前:ポラリス
久しぶりにこちらのサイトを訪問させていただきました。投稿しようかどうしようかちょっと迷いましたが、少しでも参考になることもあるかもしれませんので、書いてみます。
まちこさま、ご家族ともども退会され、本当におめでとうございます!! 私もまちこさま同様に長い間もっていたHSの価値観と現実生活での判断基準をどこに持って言ったらいいのか、答えに苦しみ、悩みました。 いわゆる洗脳を解きながら、現実の生活をきちんと営んでいかなくてはなりませんので、自分自身の自由な発想・考え方がどこからくるのか、はたしてこれは、HS由来の考え方のなのかどうなのか、だとしたら自分の考え方は間違っているのかなどなど、何事にも逡巡してしまう自分がいました。 そんな時期、家族が「ポラリスがHSで学んだ事は、悪いことと思っていない。それを否定しなくてもいいんだ。ただ、一回HSに出会う前の価値観に戻してみたら。HSを知る前だって間違った生き方をしていたわけではないのだから。それから、霊的なんとかという見方は、いっさいしないでみたら。現実に起こっていること、見てること、聞いたこと新聞、TV、ネット、いろんな人の話、書籍それで入ってくる情報で一般の人は、生活できているのだから。」 いやーそんあことはない!!って否定している自分があったのですが、ここはひとまず、霊的なものに目をつぶることにしました。いわゆる唯物的になったのです。そういうポラリスの家族も決して唯物的ではなかったのでとりあえず・・ そうなんです、HSでは、現実起こっていることの裏付けを霊的人生観で「実は、こういう因果です。」とか過去世がこうだからカルマのかりとりでどうこう・・などいいますよね。 そういった正しいかどうか証明できないHSのいう霊的真実とは、距離を置いてみました。 そうすると如何に自分がそんなものに振り回されたものの見方をしていたかに気づかされました。 それから、信者さんたちとの連絡はとらない、メールも実際会うこともしませんでした。信者時代を空白のものにしていきました。 HSと出会う前の価値観・・まちこさんは、どうでしょうか。思い出せますか。 HSの中でよいと思われるものは、たくさんあります。でもそれは、オリジナルではなかったことを、アンチサイトでも書かれています。良いものは、捨てなくて良いと思います。そういう取捨択一は、もう少し時間をかけるとできると思います。今は、無理して自分で決断していかなくても良い時期と思います。 私は、アンチブログを書くことで自分の気持ちを揺るがないものにしていったような気がします。身近に自分と同じ状況の方とお会いできることがないので、こちらの相談室や「したらば」をよみあさり、自分だけじゃないという繋がりができ、とても助けられました。きっとこの後よいアドバイスが出てくると思います。不安もおありでしょうが、退会という新しく希望の道ができましたので、過去を笑い飛ばすようにきっとなりますよ! Re: 退会後の価値観について
日付:2013/07/19 (Fri) 15:54:52 -名前:管理者
まちこさん、こんにちは。
ご両親も、お子様方も、皆様、退会おめでとうございます。 退会後の心の整理についてですが… kkで教えられていた価値観に抵抗をおぼえる、それで考え方が混乱するといった事は、私にも覚えがありますし、退会した方には必ず起こる事だろうと思います。 kkの教え、といいますが、実態はいろんな価値観の寄せ集めであることから、 良い事、正しい事も少しは含まれており、それが混乱の原因だろうと思います。 私の場合ですが、迷ったときには、自分の意見を作りました。 (特に立派な意見である必要はありません。というのは、kk信者の言動を見ると、身の丈に合わぬご大層な事を言いがちなので、それに対するカウンターとして、このような条件を付けてみました) 自分の意見を作るために、例えば、本を読んで調べる、他人の意見を知るなど、十分に時間をかけたうえで、個別に受け入れる、受け入れないを判断するようにしました。判断がつかない場合は「保留」にしました(実際は保留がかなり多いかもしれません)。そうして、自分として誠実に判断した結果が、kkと同じ答えになったら、それはそれでいいのではないかと思います。 上のように、時間をかけていろいろな判断をするうちに、私の混乱はおさまってきました。 その過程で思った事は、怖いのは自分で自分を受け入れられない事、恐怖で思考を支配される事だ、ということです。 kkは早急な結果を求めすぎて、信者の考える時間と未来を奪っているように見えます。 長い間信じてこられたのですから、同じくらいの時間をかけるつもりで、あせらずいきましょう。 まちこさん自身が大事だと思うことは、これからもぜひ大事にしていってください。 Re: 退会後の価値観について
日付:2013/07/19 (Fri) 16:15:43 -名前:管理者
ポラリスさん、お久しぶりです。
まちこさん、 ポラリスさんの書かれた「霊的な事に目をつぶる」というのは、私が書いた「保留」にあたるかと思います。 退会後の混乱は、大体同じような過程を経ておさまっていくようですね。 退会後は何かと気になることも多いと思いますが、あえて否定も肯定もせず、距離を置いていくと、そのうち、かさぶたみたいにポロっとはがれていくと思います。 Re: 退会後の価値観について
日付:2013/07/21 (Sun) 14:29:27 -名前:cjrhewifg7f657tg
まちこさん、ご家族ともども退会おめでとうございます。
そもそも、大川パクリおじさんの教義は他人の知識の寄せ集めです。その情報のなかには真実もあるでしょうし、真実ではないものもあるでしょう。真実のものがあったとしても、それは単にマグレで当たっていただけです。どれが真実かそうでないかを見極めるのは、それこそ「神のみぞ知る」でしょう。大川の主観やでっちあげの霊的真実ではなく、識者が語っている客観的事実を見、判断していくことこそが大切なのだと思います。 この論理から導き出すのならば、「脳死はひとの死ではない、臓器提供はしてはならない」「霊的人生観」は真実である可能性が高いと私は考えています。 このように、ひとつひとつの事柄をそれぞれ検証していくことが大切だと思っています。ステレオタイプになるのではなく、冷静に検証していくべきだと私は考えます。 Re: 退会後の価値観について
日付:2013/07/22 (Mon) 17:41:29 -名前:ミホ
まちこさま
ご退会されたとのこと、ご自身の選択と決心で進まれた道に 私からも心から祝福をさせていただきたいと思います。 退会後の価値観ということですが、個々の歩みはあろうかと思いますが 教義から自由になるには一定の時間が必要です。 まちこさんもそう長くはかからずに 変化されたご自分の考えに気づかれることと思います。 そして「自身で考える そして選び取っていく」という基本的な人生のあり方が いかに大切かということを、 思い出されるのではと思います。 KKの教義の真偽はともかくとして 私の場合、自分の考えに自信がなく、 てっとり早く善悪や真偽を知りたいという安易な思考が 信者時代 強く根底にあったと思っています。 まちこさまの 出された臓器移植の問題で言えば 総裁がNOといえば 私は検証もせずにそうなんだと思い込み、 まるで それがすべてであるかのように他の考えを否定していました。 今思うのは、そういう思考の仕方そのものが 私の最大の問題でもあったと思うのです。 選挙も終わりましたが、かつてKJ党の政策をなにも検証しないまま、声高に訴えていた当時も全く同じでした。 たとえ真理はその通りであったとしても その場、時に応じ 悩み、苦しみ 考えて選択しうる道は多様で 失敗や誤りも含めて 私たちは生きているのだと思います。 ましてや、臓器移植や、政策など 各論に近いものは もっともっと生きている私たち自身が苦労して掴み取っていくようなこと なのでは、と思うこのごろです。 もしまちこさまが 臓器移植の是非なども真剣に考えたいなら、 宗教的にも 医学的にも また現に病気と闘っている方、提供者 家族の立場によっていろいろな見解があることを知って その中で、「自分の考え」を持つことが 大切だと思います。 KKの教えに依存していた頃は、 自分の選択に後悔せず、どんな結果であろうと受け入れる責任と覚悟 というものを 私は見失っていたように思います。 教義から自由になりつつある今、私はもちろん不安もありますが、「自立」の道を歩んでいるようにも思えるのです。 Re: 退会後の価値観について
日付:2013/07/22 (Mon) 23:49:41 -名前:2ちゃんねるの使者
まちこはん、お久しぶりだす。
ご両親はんとお子はんともども退会されはったんでっか? そら、よろしおましたなあ・・・。おめでとはんだす! 1.価値観が整理されるまでには時間がかかりますからなあ。 わてかて1年半かかりましたし・・・。 管理人はんのゆうよおに、「保留」で構わんのとちゃいまっしゃろか? しょせんわてら凡人がナンボ考えたって、「ワカランもんはワカラン」ですやん。 わてなんか「原発に賛成ですか? TPPに賛成ですか?」聞かれても、 それこそ池上彰はんあたりに解説してもらわんとチンプンカンプンですもン! 2.ポラリスはんのゆう、「霊的真実とは、距離を置いてみました」、これ大事やテ思とります。 一番の問題点は、「霊現象や霊界話は面白すぎる!」ゆうのがわての結論ですわ。 基本的に人間は神や悪魔・幽霊・あの世・宇宙人・超能力・古代文明・奇跡話・ホラーなんかが好きなんや思ます。 ハリウッド映画みてもこの手のジャンルはけっこお売れとりまっしゃろ? せやけどこれにはまりすぎると現実が見えなくなって来ますんで、「距離を置く」のが正解や思いますわ。 3.道徳的な部分は、まちこはんが共感できる教えは捨てんでええ思います。 オーカワは「法泥棒」、コーフクは「盗品美術館」ですさかい、本物も混じっとるのは確かですわ。 ほんでも「教員免許のない先生から教わった『九九』や『英語』やから忘れてしまうべきや!」とまで考える必要はおまへんですやろ? まあ免許のない先生の英語やから、ところどころ間違った言い回しで教わっとるかも知れまへん。 それは今後ポチポチ直して行けばええワケで、 『英語』やテ思おて習っとった言葉が、実は『アトランティス語』やったゆう程の勘違いやない思うんですわ。 少なくとも今のわてらは、「インディアン、嘘、つかない。悪い、白人、みな殺す!」くらいの英語は喋れるわけで・・・(笑)。 わてらせっかくカネと時間を使こおて、「英会話のダマス」に通ったんでっから、モトくらい取らんとモッタイナイですわ! 「失敗から教訓を学べば、それは決して失敗した事にはならん!」 「鯨と同じで人生経験は捨てる所がいっさいない!」 これ、わての大キライなオーカワが書いた、『常勝思考』一節なんですケドな・・・、 わて、この辺は今でもありがたく使わしてもろて、わての人生観の一部にしとりますんや。 思想や人生観には著作権はおまへん! ほんでナンボ自分のモンにしても減るもんやおまへん! それで商売したらさしさわりおまっしゃろケド、自分が共感した考え方はありがたく自分のモンにしてええんとちゃいまっしゃろか? 4.わてはオーカワから教わった考え方で、自分が共感するモンは遠慮のお頂戴して「自分教」を作っとります。 ただし、この「自分教」は「わて専用」の教えであって、 他人に押し付けたり、伝道してわてが教祖になったり、他人を裁くために使こおたらアカンゆう考えでやっとります。 5.ただしオーカワの教えにも、「99%の正しさの中に、1%のいんちき」が混じっとるんですわ。 「『愛』という透明な風の中に砂粒が混じっとる」んだす。 たとえば「信仰は大切」と言いながら、支部に通っとるとそれは「(えるかん)信仰は大切」ゆう具合に心理誘導されますのや。 「与える愛は大切」ゆうスローガンがいつの間にか、「愛に溢れた真理の書籍を献本しましょう」に変わりますのや。 この辺のウソに気づくのが一苦労なんですケド、 わての場合は「自分教」を実践して「なんかヘンやな?」感じたら、その都度教義変更するゆう感じですやろか。 6.「脳死」みたいなハナシは道徳とは違う分野なんで、それこそ池上彰はんにでも解説してもらわんとわからんハナシですわ。 せやけど「ワカランもんはワカラン!」で棚上げしとっても、人生ナンも困らんハナシですわな? こんなんほかしとっても、わてやまちこはんが脳死状態になった時に考えれば間に合う話題ですえわなあ・・・。 (あ、脳死になったら考えられんか? カンニンしとくれやす~!) |