無題
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日付:2011/01/13 (Thu) 18:00:47 -名前:inunagamaru
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私も、去年後半から洗脳を解いてきました。 ポイントは「疑問」でした。
何の疑問だったかというと、「方便の時代は終わった」で方向転換したときの教義変更です。 古い話ですが、これのお蔭で18年間も休眠会員になる事ができたのです。(イバれないですけど) 教祖や本部に遠い末端会員は、その内部の不祥事や品性下劣なスキャンダルを目の当たりにしていません。よって疑いもせずに、うわべだけの美しい教義に心を奪われている場合が多いと思います。 肝心の本部と信者の中間に立つ職員たちは、「この宗教は変だ」と分っていても自己保身ゆえに本当の事を伝える事ができません。失業が怖くて、次の就職先がおぼつかないからです。 私の場合は、「この疑問が解決しない限り絶対に100%の信仰などはあり得ない。それが個人として独立している証拠だ」と考えました。そしてネットを通じて幸福系のブログ主に疑問をぶつけて行ったのです。しかし結果は散々たるものでした。誰もまともに答えないのです。一人を除いて誰も疑問すら持たない状態でした。「皆、多少の疑問はある。でも最後は信じて飛び込むしかない」という話しばかりです。 しかも驚いた事に、そんな彼らをプロテクトしているネットの番人のような人間に介入され、即時着信拒否の目にあったのです。私の言論が危険だと判断したのでしょう。まるで北朝鮮や中国のような言論メディア統制ではありませんか。ここでも疑問を持つべきなのに、何たる処置でしょうかブログ主たち。 正しい宗教ならば、堂々と疑問を持つ信者と腹を割って話しあえば良い事ではないですか。 なにをコソコソと隠す必要がある? なぜ疑問を持った信者を追い出す必要がある? 答えは明白ですね。 ここまで行けば、いたいけな信者さんではありません。 共犯者だと言っても差し支えないレベルまで来ていると思います。 やはり疑問を大事にしてほしいですね。自分から遠慮せずに疑問をこじ開けてみましょう。誰彼に疑問をぶつけてみましょう。良い人ほど教義のいい部分だけを見ている所があります。そこに付け込まれているのです。疑った所で地獄には行きませんから。初期のKK教義では、地獄は人殺しや思想犯が行く所です。 「疑問を封じ込めて従うをもって洗脳」と定義できると思います。 現信者さんには、どうか今ある疑問を大切にして、ご自分で洗脳を解いていただきたい気持ちです。 疑問があったなら
日付:2011/01/14 (Fri) 13:23:22 -名前:一昨年の退会者
いたずらに、殿堂に莫大な金をかけ、威厳を誇らなくとも、人間それ自身の心の尊厳性こそ知るべきであり、またそうした金があったなら、こまった人に分かち与えるべきであろう。大殿堂をつくり信者を盲信させてあやつることは、釈迦もイエスもしなかったのである。 <中略>
最近では、お札の代わりにペンダントまで飛び出し、神の代名詞として高く信者に売りつけているといった例がある。 教祖とかとり巻きとかいった連中は、大神殿であるはずの地球上に、屋上屋を重ね、浄財と称した不浄の金を集めて優雅な芸術的な建物を造り、祈る対象物を造り出して盲信者、狂信者達を迷している。 <中略> 神は、人間の生活の智恵が造り出した金など必要としないのだ。金が必要なのは、神ではなく、人間達だということだ。 狂信、盲信者の供養によって、豪華な衣裳をつけたり、金銀宝石の指輪などをするといった、教祖や指導者がいる。これらは、足ることを忘れて身を地獄に堕として行く誤った者達である。 <中略> 布施とは、感謝の心を行為として表したものなのである。それ以上でも以下でもないのだ。 布施のなかには、労働の布施、作物の布施、金銭的な布施などがあるが、それは他人のためになる一切の行為をいうのである。 このように、正しい、ものの判断が必要だということである。 <中略> 私達は、盲信者になったり、狂信者になったりしてはならないのである。 人生に疑問があったなら、それを追求すること。疑問を持ったままに盲信することは、正しいことではない。 それは、偽りの信心といえよう。 疑問に答えられないような指導者は、心を教えることはできない人々である。 偽善者の烙印を押される人々である。 高橋信次著「心の原点」より 昔、大川さんの本の中に同じようなのありましたが、 もう、届かないでしょうね。 泥棒から盗みはいけないと言われても・・・・
日付:2011/01/14 (Fri) 20:16:52 -名前:通行人
我流で稚拙なインチキ仏教を喧伝し、仏陀を詐称した大川隆法の先輩の高橋信次。
最期は釈迦、キリスト、モーゼより偉いエル・ランティなる、事実上の生き神様になりきった高橋信次。 生き神様になるなと言いながら生き神様になるところが大川氏と似ていて面白い。 狂信者、盲信者になるなと言いながら、狂信者、盲信者ばかり作り出すところもそっくりだ。 泥棒から盗みがいけないことだという内容の、確かに一部正しい人間のあり方を説法された面映さがある。 稀代の宗教詐欺師から、いくら宗教詐欺はするなと言われても、確かに残念だが大川氏に届かないだろう。 Re: 無題
日付:2011/01/15 (Sat) 00:25:26 -名前:nagainumaru
GLAの事はよく存じませんが、一昨年の退会者 さんの示した箇所を読む限りはマトモな事を言ってます。
私がKKを信じた理由の一つとして、原さん霊媒による「霊道現象とはなにか」があります。 初期幹部の守護霊を次々と呼び出して、彼女の体に入れていました。 たしか栄西禅師も出ています。(誰の守護霊だか忘れました) これなどもGLAの影響らしいですが、いったい彼女は本当に霊媒だったのだろうか疑問です。 もし、彼女が出てきて「あの現象は全部嘘です。腹話術です」と言えば1000人の洗脳を解くのに役立つでしょう。このままでは彼女の名は「お金で口を噤んだ人」として、日本史上に悪名として残る事になるのではないかと危惧しています。 しかし関谷氏のように「あれは虚業である」と告発すれば、その勇気ある決断に幾ばくか罪も購われる事でしょう。加害者ではなくて被害者であると、証明する必要もあるのではないでしょうか。 まあ、そんなに簡単な話しではないかもしれませんが・・・ 私が伝道した法友君は、ついにメールすら受信してくれなくなりました。彼はよく由布院正心館に行くので、そこの館長の影響をもろに受けているかも。 最近「白紙になれ」とか言った人です。意味は「何も考えるな。黙って従え」ってことでしょう? いまごろ彼は総裁から叱られてるんじゃないですか?「おまえ、そのまま話すと洗脳だってバレバレじゃないか、このアホ! バレないように誘導するのがプロの詐欺ってもんだろが、このスカポンタン!」って具合にネ。 Re: 無題
日付:2011/01/15 (Sat) 01:23:46 -名前:とらわれえざる者
nagainumaruさん こんばんは
一番深刻な問題は >彼女が出てきて「あの現象は全部嘘です。腹話術です」と言えば1000人の洗脳を解くのに役立つでしょう。 と仮にその当人が嘘とかを認めてさえも尚その嘘や虚構の方を信じる人が大勢居ると言う事です 一度嘘に染まったら抜けられない人が居ると言う現実が洋の東西を問わず厳として存在しています 霊媒系スピリチュアルの祖と言われるフォックス姉妹事件を端緒として、サイキックマフィアの件や、最近ではカルロス事件なんかもそうです 当の本人があれは嘘ですと言っても信じない者達が沢山居たと言う話です それはそこに商売が絡んでたと言う部分ももちろんありますが、商売を抜きにしても人にはそういう部分があるものだと認識してかからないと間違いをおかす気がします もっと身近な例だと日本の占いにもその手の物が存在してます (あまり具体例をあげると細木さんに呪われそうなのでやめておきますが) 永遠のミスター・グレー
日付:2011/01/15 (Sat) 09:37:55 -名前:通行人
>彼女が出てきて「あの現象は全部嘘です。腹話術です」と言えば1000人の洗脳を解くのに役立つでしょう。
私は原氏は凡人だと思う。ただ、ヨガだとか信次節が好きなだけだったのだろうと思う。人の手本になるような人物ではない。 だから、お金を渡されたのかもしれないが、、、、、自身が原因で迷惑をかけた人への償いとして、真実がどうだったか?など証言しないで原氏の真実は原氏は墓場まで持っていくと思う。一番楽だからだ。 要するにアイマイミーさんやアルゴラブさん、ファルコンさん、関谷氏と違って責任などとらない気なのだ。 自分は自由に気持ちよく澄んだ水の中を泳いだだけの話しじゃないかと言うのだ。さんざん泥をはねあげ、もうもうと水を濁らせておいて、人に迷惑をかけた挙句、本人は気持ちよくどこかへ泳いでいってしまう迷惑なだけな鯉のようなものだ。高橋信次関連に関わるとそんな人でも聖人のような扱いを受けるのだからやめられない話しだ。 >彼女が出てきて「あの現象は全部嘘です。腹話術です」と言えば1000人の洗脳を解くのに役立つでしょう。 原氏自身も催眠術をかけられてしまっている状態のようなものでもあり、本人でさえ、嘘か本当かわからないとしかいえないところもあるんじゃないかと思う。 ただし、催眠術をかけれたような状態であったとしても本人の意識はあり、何でこんなことを言うのだろう?と思いながらも、「あ、ここは、勝手な創作になるけど、こういう風に言っておいたほうが面白いぞ」という故意による計算的な演技、芝居が全くなかったかといえば、嘘になるだろう。 しかし、仏陀であるとか、地球最高神であるとかどこまでいっても、大嘘であることはわかっているのに、具体的には止めを刺すような証明は不可能な状態が続く。そして信じる人はどこまでもついてゆく。ちゃちな仕掛けで、どうしてここまで多くの人がだまされてしまうのかも興味深い。 そんな大川隆法氏は、『ミスター・グレー』と呼ばれるのがふさわしいお人だ。 渦中の人には・・・
日付:2011/01/15 (Sat) 13:38:58 -名前:一昨年の退会者
こんにちは
高橋氏の言葉をそのままのせることは、こちらの板の趣旨を考えたらどうかな?と思ったのですが、基本的には、 “誰が”言っているか、ではなく、“何を”言っているか、その中身は、に重点をおいています。(ちなみに私は過去も含めてGLAに接点はありません) inunagamaruさんの「疑問を大事にしてほしいですね」に感じるところがありました。 「これはおかしいのではないか?」という疑問は、心の大事なところから出てきているものと思っています。 『人間それ自身の心の尊厳性こそ知るべき・・』という観点に立てば、 白紙の自分の素の心で、今のKKはどうなんだ? ということになりそうですが、渦中の人にはムツかしいですね。 先日、路上で偶然に会員の女性に会い、「こんにちは」のあと、近ずきかけた私は、“悪”そのものような目で見られ、それ以上近ずけませんでした。なにか、サボテンのように見えました。又、会内の尊敬していた人から「地獄に落ちる」とも言われました。私も普段、人に向かって「アホ、ボケ」(正語に反します)とか言いますが、それでも「地獄に落ちる」と言ったことはなく、リアルで想像したら、ゾッとした気持ちに襲われました。 確か、KKでは「心の教え」とか「世界平和」とか言っていた筈だけど、自分の心が平和でなくて一体どうなんだろう? 今の大川さんの言葉が、心の琴線に響かどうか、(金銭ではありませんよ) 「白紙の心」で触れてほしいと願います。 Re: 無題
日付:2011/01/15 (Sat) 16:18:52 -名前:nagainumaru
通行人さん、こんにちは。
>具体的には止めを刺すような証明は不可能な状態が続く ここはまったくイラつく所ですね。「何か、しでかしてくれた方が手っ取り早い」と思うのですが。 そこがオームよりも頭がいい所でしょう。ノストラダムスの失態に学び、週末予言も今回は3回に分けてます。「自分が生きている間は恐怖の縛りが可能だ」と考えての作戦です。初めの2回が外れてもOKなんですね。「これぞヘルメス分散投資」と悦に入っていると思います。 とらわれえざる者さん、こんにちは。 いつも冷静で客観的なコメントに助けられています。個人的には恩があると思ってます。 >当の本人があれは嘘ですと言っても信じない者達が沢山居たと言う話です 最近の信者さんの傾向を鑑みるに、たしかにその観ありです。 しかし、迷っている人の背中を押すのには十分な効果があると考えました。 一昨年の退会者さんこんにちは 真摯なコメントありがとうございます。お気持ちはすごく分ります。よく勉強されてますね。 >“悪”そのものような目で見られ これはKKに限らず、日本人にありがちな村八分的な思考の表れだと思います。異質なものを排除して、仲間内だけで固まっていたいというアレですね。過去の為政者はそれを巧みに利用して人心をまとめてきました。現信者さんたちは、まんまとそれに騙されているのでしょう。 その傾向性は日本人のサガなのでしょうか、それとも後天的に刷り込まれた心情なのでしょうか、分りませんが・・・ 日本人のそういう所は、外国人から見れば哀れに写るようです。最近は東南アジア人からすら、憐みの目で見られています。「日本人は虫のようだ」と言われた事があります。まあ、視野が狭いという意味でしょうが、「狭いが深いぞ」と言い返すのがやっとです。 KK教義にはまると更に視野が狭くなるのは確定的ですね。国際的に大恥かくのは必至です。 Re: 無題
日付:2011/01/15 (Sat) 16:32:46 -名前:通行人
>“誰が”言っているか、ではなく、“何を”言っているか、その中身は、に重点をおいています。(ちなみに私は過去も含めてGLAに接点はありません)
泥棒から盗みがいけないことだという説法をされたとしましょう。 その通りです。間違っていません。盗みがいけないことだとその一部分の正しさは学校の道徳の時間に教えても問題ありません。それが人の道です。 非の打ち所がないほど、正しいことを泥棒は説法してくれております。 >先日、路上で偶然に会員の女性に会い、「こんにちは」のあと、近ずきかけた私は、“悪”そのものような目で見られ、それ以上近ずけませんでした。なにか、サボテンのように見えました。 推測ですが、会員の女性からしてみれば、あなたを見て、それ以上近ずけない、なにか、サボテンのように見えたのかもしれませんね。 嫌な奴だと思っている奴は、逆にこちらのことを嫌な奴だと思っているものですよ。 ま、そんなことは自己中心的な解釈ばかりしていなければ、子供でもわかることですが。 >又、会内の尊敬していた人から「地獄に落ちる」とも言われました。 それは災難でしたな。気にしないことですよ。 あなたの尊敬していた人の尊敬する人が本当に天国にいけるのかどうかも怪しい人なんですから。 >今の大川さんの言葉が、心の琴線に響かどうか、(金銭ではありませんよ) 「白紙の心」で触れてほしいと願います。 そうだといいですね。実に結構なお話しです。 Re: 無題
日付:2011/01/15 (Sat) 17:04:41 -名前:通行人
>白紙の自分の素の心で、今のKKはどうなんだ? ということになりそうですが、渦中の人にはムツかしいですね。
>今の大川さんの言葉が、心の琴線に響かどうか、(金銭ではありませんよ) 「白紙の心」で触れてほしいと願います。 白紙のってところがポイントなんですね。よくわかります。 由布院正心館の佐竹館長もその手を使っているそうですョ。 いやはや、まったく、お目が高い。もう、言うことなし!ですネ。 Re: 無題
日付:2011/01/15 (Sat) 18:05:59 -名前:とらわれえざる者
>誰が”言っているか、ではなく、“何を”言っているか、その中身は、に重点をおいています
これは逆だと私は思ってます。 誰が言っているのかがひとつのキーポイントです もちろん”言葉が独り歩き”する場合もあるでしょう、その場合を除いて言葉の意味は誰(どんな事をしてる人)が言ったかに決定的に左右されると思うからです それにこの”良い事も言っている”とかは詭弁的弁証法の擁護に使われるものでさえあります 以前も書きましたが同じ愛の言葉でも結婚詐欺師の言葉は優しく響くものです 付:2011/01/15 (Sat) 16:32:46 -名前:通行人 >“誰が”言っているか、ではなく、“何を”言っているか、その中身は、に重点をおいています。(ちなみに私は過去も含めてGLAに接点はありません) 泥棒から盗みがいけないことだという説法をされたとしましょう。 その通りです。間違っていません。盗みがいけないことだとその一部分の正しさは学校の道徳の時間に教えても問題ありません。それが人の道です。 非の打ち所がないほど、正しいことを泥棒は説法してくれております。 >先日、路上で偶然に会員の女性に会い、「こんにちは」のあと、近ずきかけた私は、“悪”そのものような目で見られ、それ以上近ずけませんでした。なにか、サボテンのように見えました。 推測ですが、会員の女性からしてみれば、あなたを見て、それ以上近ずけない、なにか、サボテンのように見えたのかもしれませんね。 嫌な奴だと思っている奴は、逆にこちらのことを嫌な奴だと思っているものですよ。 ま、そんなことは自己中心的な解釈ばかりしていなければ、子供でもわかることですが。 >又、会内の尊敬していた人から「地獄に落ちる」とも言われました そもそもが他人に対してこういう暴言を吐く事を戒めるのべきではないでしょうか そういう言動を平気でしている信者を見ればみるほどおかしさの証明をしているようなものです これはかつで大川がカルトについて語った事がそのままKKに当あてはまる部分でもあります Re: 無題
日付:2011/01/15 (Sat) 20:34:21 -名前:nagainumaru
「皆さんは、あの泥沼の中にあって、泥に埋もれてはいけません。あの綺麗な蓮の花のように、この浮世に生きる事は可能」 美しい話しですね。 またこんなのも有ります「同じ水を飲んで、蛇は毒を作り、牛は乳を作る。皆さんは、この浮世で毒ではなく、乳を作るような生き方をしなければなりません」
まったくその通りです。 そのように生きたいものです。 しかし、これはあの大川隆法さんの口から出たお話しなんですね。 人を判断するのは難しいですね。 その言葉だけで、人格までは掴めないのです。 その行動をじっくり見ればわかるのですが、彼の場合はベールに包まれてますから・・ 一般の信者には見せないようにしてますからね。 まあ、最近は馬脚を現しています。 品性が透けて見えてます。 東大生がどんなに頑張っても、20年以上人を騙し続けるのは難しいって事ですね。 KKを離れた方が、次にどのような宗教を信じるのか、それは自己責任ってやつでしょう。 しかし、KKで勉強した事は忘れないでほしい。「言葉は嘘をつく」という事です。 その行動と生き様で判断するしかありません。 ”KKという泥沼に浸かったとしても、その後に蓮の花を咲かせるような人生にする事は可能” ”kkという水を飲んで、洗脳された信者のように世間に毒を撒き散らすよりも、その中から教訓を学んで人のためになるような生き方をする事は可能” Re: 無題
日付:2011/01/15 (Sat) 21:18:17 -名前:通行人
>しかし、これはあの大川隆法さんの口から出たお話しなんですね。
正確にはオリジナルは大川さんじゃないでしょうけどね。 今までも指摘されてきたとおり誰かのパクリですよ。 指摘され続けるパクリ、パッチワーク教義のように。 例えば泥中の華の例えは釈尊の言葉ですし、蛇と牛の例えも大川さんが誰かから聞いたことを、さも自分が教えているように話しているだけでしょう。 Re: 無題
日付:2011/01/16 (Sun) 04:39:45 -名前:とらわれえざる者
申し訳ありません、引用の際にコピー&ペーストの範囲を間違えてしまいわかりづらい書き込みとなってしまいました、正しくは下記です
>誰が”言っているか、ではなく、“何を”言っているか、その中身は、に重点をおいています これは逆だと私は思ってます。 誰が言っているのかがひとつのキーポイントです もちろん”言葉が独り歩き”する場合もあるでしょう、その場合を除いて言葉の意味は誰(どんな事をしてる人)が言ったかに決定的に左右されると思うからです それにこの”良い事も言っている”とかは詭弁的弁証法の擁護に使われるものでさえあります 以前も書きましたが同じ愛の言葉でも結婚詐欺師の言葉は優しく響くものです >又、会内の尊敬していた人から「地獄に落ちる」とも言われました そもそもが他人に対してこういう暴言を吐く事を戒めるのべきではないでしょうか そういう言動を平気でしている信者を見ればみるほどおかしさの証明をしているようなものです これはかつで大川がカルトについて語った事がそのままKKに当あてはまる部分でもあります |